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49日

01-14,2017


2017年、1月14日(土)。


今日はムーさんの49日でした。


私は敬虔な仏教徒ではないけれど、火葬した所に併設されているお寺(埋葬された場所)に頂いたパンフレットによると



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49日を過ぎると来世に生まれるとか、魂の行先が決まる大事な日だとか。

仏教では亡くなった日から7週間(四十九日間)はこの世とあの世をさまよっているとされています。 この期間は、死から新しい生へと生まれ変わる準備をしているのです。 その間に遺族が丁寧に冥福をお祈りすることによって、亡くなった人は、初めて無事に極楽浄土に送り届けられる(浄土真宗をのぞく)とされています。



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なので、供養の意味を込めてほんとに最後の最後のブログを更新します。

ムーさんが亡くなってから1週間後くらいのある日。
夜、ベッドで寝ようと横になった2才11ヵ月の息子が「ムーさん、あそこ」と
ムーさんのキャリーバッグが置いてあるタンスの上あたりを指差して言ったそう。

「ムーさん、あそこ」

私はその場におらず、旦那さんの呼ぶ声で駆けつけて子供に「ムーさんいた?」と聞くと
嬉しそうに「うん」と。
まだちゃんと会話できないので、どんなだったとか彼には説明するボキャブラリーはないけれど、
なんかすごい嬉しそうだったから、あーいるんだなーと妙に納得してしまった。
トトロみたく本当に子供には見えるんだね。(私も子供の頃おばけ見えたもんなー)



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仏壇、お供え物に全く縁のない家庭に育ったけど、亡くなった日から今日までムーさん部屋の寝室にナナちゃんとはんぶんこにしていた美味しい晩ごはん(ウェットフード)を「ムーさんごはーん」と言ってお供えしていました。

それも今日で終わりにする。

なぜなら、いつまでもムーさんはここに留まっていちゃいかんから。
気持ちよくムーさんを送り出してあげたい。





https://youtu.be/zPsMmybZ5Pg




https://youtu.be/DG_nW6pghRA
パソコン、バックアップがいつ壊れてもいいようにyoutubeに動画アップしとこっと





ムーさん、いってらっしゃい。





野良猫から家猫に昇進(?)した猫は、来世で人間に生まれ変われるとどこかで見聞きしたような気がします。


もし今日審判が下り、明日人間に産まれかわるんだったら明日おぎゃーと産まれる人間の赤ちゃん、
お誕生日おめでとう。

もし修行が足りなくてもう一回家猫やってこい、と猫神様に言われて
にー!と産まれる猫の赤ちゃん、お誕生日おめでとう。


どんな姿であれあなたがこの世に産まれてきてくれたら本当に嬉しいよ。





ムーさん、おかえりなさい。


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終わり

12-05,2016


改めてムーさんの亡くなった写真を見返す
27日の夜と28日の朝の写真を比べる
目が閉じられなかったおかげで水晶体の様子がみえたんだけど、
28日にはしぼんできてたんだよね
死んでからどのくらい経てば水晶体がしぼむのか分からないけど、
写真を見返すと27日に撮った写真の目はつるんとしてて
まだ生き生きとしていた





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命日は27日にしてもいいかな・・・?





・・・ムーさん、ありがとうね





17年前の9月、結婚して3ヵ月
物心ついた時から猫と暮らしてきた私にとって、
猫のいない生活は寂しくて寂しくて仕方がなかった

そんなある日、君はやって来た
友達の友達が猫を拾ったって
君が来てからわたしには笑顔が戻った
キトンブルーの瞳のぐりぐり曲がったしっぽの猫、ムー





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君も私も旦那さんも若かった
わたしは眉毛細いし
今じゃすっかりナチュラル太眉よ

小さい時は胸にジャンプし、肩に乗る肩乗り猫だった
飯を出せと寝ている飼い主の鼻をかんで起こすのが得意だった
足のニオイが大好きで足を差し出すと気持ち良さそうにいつまでもスリスリ
食べ残しは砂をかけて隠していたね

猫は家につくって聞いたことがあるけど、引越を3回経験してる君を見てそれは間違いだって知った
猫は人につく

もぐるのが大好きでいつも何かにもぐっていた
旦那さんの猫アレルギーが発覚してから我が家の掛け布団は朝畳むことに
長い習慣だったから何も疑わずやってたけど、
今日、ふと、なんでベッドの布団畳むんだ?と思い出したよ

ブラッシング大好き、お尻のブラッシングはたまらんよね
お尻トントンもずっと続いた習慣
ムーさんがベッドに乗れなくなったのと同時期に私は一人でナナと居間で寝るようになったから
最後の方はおしりトントンできなかったけど、お互いにとって至福の時間だった
ここ1年は足の関節が腫れてヨタヨタ歩いてたけど、最期まで寝たきりにならなかった
寝たきりの看病も覚悟していたのにさ

一番えらいのは猫エイズ、発症しなかったね

ムーさん、いいこいいこ
ムーさん、えらいえらい





今日の明け方、ムーさんの夢を見たんだ

ふっくらこんがりパンケーキみたいなお尻のムーさんを見つけた
そこはどこかの家で、たしか旦那さんに「ムーさんがいるよ!」と声をかけ、
触ろうとすると逃げるムーさん
玄関らしき所まで追いついて、そのふんわりした背中に手を伸ばして

触れた・・・

ところで目が覚めた


ちょうどこんな頃のムーさんだった気がする



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2006年12月 - 今の家に引っ越して2年後くらいか - ムーさん7才





ブログが流行り始めて、どんなもんかとりあえずやってみようとgooブログを突然始めた2009年1月。
ブロ友さんが出来てコメントのやりとりなんかしたりして楽しい時間だった。
2012年1月、fc2ブログに引越。

2014年1月に子供が産まれてからというもの、ブログを書く為の時間が捻出できなくなり、
もうやってんのかやってないのか分からん放置状態のブログだったけど、
ここらできっちりしたく、このブログは終わりにしようと思います。
6さん☆7ちゃんはやはり2匹揃ってないと6さん☆7ちゃんじゃないのでね。

ナナちゃんはというと至って通常営業。
元々ムーさんとは別居生活だったし、接点もないので当たり前っちゃ当たり前。
ただ、ムーさんの死後数日は私の弱ったenergyを感じ取り(師匠、Cesar Millan参照!)
ずーっとナナタワーという名の棚の上で寝てて元気がなかったように見えた。

ナナはムーさん部屋の寝室は立ち入り禁止だった。
改めて書くとエイズウィルス VS 白血病ウィルスなんでね。
これまで何度か寝室に忍び込んで、その都度強制連行されてたので
今、開け放たれた戸を不審に思いつつも、ベッドと毛布の魔力に惹かれ、
寝室に入り浸って素敵毛布を堪能しておる。
最初の数日は私に見つかると「やべっ!」て顔してたけど、
怒られないのを理解すると今では本当に入り浸り。
ムーさん部屋はそのうちナナ部屋になりそうな勢いです。
ナナハゲとか色々中途半端だけど、そのうち気が向いたらインスタでも始めようと思います。
ちなみにまだハゲてます。
良くなったりまた舐め壊したり。





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記事は私の大切な想い出なので、ブログ封鎖はせずそのままにしておきます。
見てくださっている奇特な方、これまでコメントを下さった方、本当にありがとうございました。





6さん☆7ちゃん、これにて終了!


長い間ありがとうございました。






それとムーさん、おやすみなさい。





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また会おうね。

君に会えると思うと自分の死が楽しみになったよ。
今はまだ子供も小さいし死ぬ訳にはいかないけど、
早くおばあちゃんになりたい。

わたしを見つけたら足の指にスリスリしとくれ。
その感触で君だって分かるから。





わたしは大丈夫。

涙はもう出ない。

小さい頃を懐かしむように。

思い出は色あせない。





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1週間

12-04,2016


翌朝、28日
悲しみを振り払うように、ムーさんのものを片付けた
それが目の前になければ悲しみがなくなるかのように片付けた
主のいないお食事処は悲しくて悔しくて苦しくてしょうがなかった





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ばかだね

悲しみがなくなるわけなんてないのに
痕跡がなくなったらもっと悲しくなったのに
そのうち優しい思い出に変わるかもしれないのに





掃除機をかけていた旦那さんがムーさん部屋からわたしを呼んだ

ムーさんのうんこがあった





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「ムーさん、うんこしてたんだね。最後のうんこだね。」

わざわざ呼んでくれた旦那さん、ありがとう
うんこの写真を撮るわたし
ムーさんらしいし、わたしらしいや





うんこがあったことに加え、
お水を捨てる時、お水の中にカリカリのカスが入っていた
山盛りごはんもほんの少しだけ、入れた私にしか分からないくらい減っていた
ということはムーさん、26日は生きていたのかな・・・?
もちろん、出かけるときは生きていたから
命日は27日にしてもいいかな・・・?





ペット斎場を探し、連絡をして火葬の予約をした
幸い家から車で10-15分程度の所にあった
義姉に連絡したら会いたいとわざわざ花を持って来てくれた





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先代猫も犬も段ボールにバスタオルだったから花なんて頭に全くなかったけど、
そういやこんな感じにお花に埋もれてるや、他の猫さん
仏事に慣れてしっかりしてるお姉さんは非常に頼もしい
お陰で何か豪華な感じになった

ムーさんのお食事グッズは義姉にもらってもらった
マルラニのお水を入れるのにオサレで倒れにくいからいいと思うんだ
お姉さん、来てくれて本当にありがとう





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遺骨を引き取るのが今どきのペット飼いの流れだけれど、
ずっと遺骨を持っているのはよくないし、
散骨する庭もないし、後からお墓に入れるには別途お金がかかるし・・
(悲しかな、ペットの死後に関する商売は商売でしかないんだよね)

先代猫も先代犬もそうだったように合同火葬、合同埋葬にしてもらった
愛情がないとか言われそうだけどそんなことねっす
虹の橋で友達になった子と楽しく遊ぶように
生前はいなかった友達がいれば寂しくないだろうと

だってさ、ひとりは寂しいよ





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ムーさんの上と下にある毛布みたいなもんは、もう使わなくなった人間用ベッドカバーを
リメイクしてムーさん愛用の電気あんかカバーを6個作った
つい1,2週間ほど前のことだ
よだれとかで汚れるからと思って多く作ったんだ
わたし 「全部使うまで生きてるかなぁ」
旦那さん「どうだろうね」
結局写真の通り2個しか使わなかった
残りどうすんだよなぁ





人間てのは想像力豊かな生き物で、ペットの死に目に会えないと
「ひとりで寂しい想いをしていたんじゃないか」と考える

でもさ、意外と何も考えてなかったりするかも?
なんて想像してみるけど、やっぱり寂しかっただろうなって結論に至ってしまう

そのうちこう考えるようにする

病院や事故や寝ている間などで死に目に会えなかった飼い主はゴマンといるはず
飼い主がみんなペットの死を看取ってあげられるわけじゃない

そう考えたらいつ死んだのかは重要じゃない気がしてきた
気休めだけど





よく、歌詞で心が痛いという表現がある
今回、本当に心(心臓)が痛い悲しみを初めて味わった
ムーさんが死んだ時の事を考えるとキューっと心が痛む

痛みを紛らわせるために心臓をドンドンドン!とグーで叩きたい痛み
心臓を鷲掴みにされるような痛み
血圧の関係かね
血管の収縮の関係かね

痛いんだ、ほんと





ムーさんのいない生活は苦しい





でも一人と一匹暮らしの人はもっと苦しいんだろうな、と想像する
わたしはムーさんに付きっきりの生活じゃなかったけど、
ずっと一対一の関係だったらもっともっと寂しいだろうなと想像する





この家での奇妙な別居猫生活の習慣
家にいる時はムーさん部屋の戸は用がない限り閉めておき
出かける時はムーさん部屋の戸を開け、ナナ部屋の仕事部屋を閉じ、
ナナが開けないようつっかえ棒をする





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こんな風に開いた寝室の戸は不自然極まりなく、「あ!開いてる!」と思ってしまう
でもすぐああ、もう開いてていいんだと気付かされる

ムーさんを火葬しに行く日、旦那さんは出かける時にナナ部屋を閉め、つっかえ棒をした
「もうしなくていいんだよ」
「ああ、そうか・・」
そんな会話をする




これまで当たり前だったことがもう必要ないと分かった時、
とてつもない虚しさを感じる

ムーさんがいない事を思い知らされる

今まで何匹も猫や犬とお別れしてきたけれど、ムーさんとのお別れは
やはり17年もの間一緒に暮らしてきたという点で今までのお別れとはまた違うものだった。

当たり前だけど、これからムーさんがいない日の方が多くなっていくことだろう





ムーさんの死後から1週間。

わたしは
なぜかお腹が空かないのでお昼ご飯を食べないでいる(朝は普通に、夜はちょっと食べてる)
お陰でちょっと痩せた(やつれた)からダイエットにいいじゃん!とか不謹慎なこと思ったりしてる
まあ食べるようになったらあっという間に戻るんだろうけど

1日1涙

1じゃなくて2だったり3だったりする日もあるけど
しばし注意力散漫で昨日の夜はトリートメントを流したかどうかを忘れてしまった
多分流したと思うけど覚えてない
大声で子供を怒鳴る気力もない

ペットロスってこういうもんか

でもきっともう平気
平気、というか平気じゃないけど、しょうがないから我慢する

ちょっとづつね
ちょっとづつ通常営業





仏壇とか葬式とか法事とか全然縁の無い家庭に育ったから、
仏教のこととかお供え物とかよく分からんけど、
というか仏教徒でもキリスト教徒でも何でもないけど
49日までは「いる」ということらしいので、ムーさんのお水とカリカリ
(ムーさんの療法食は捨てちゃったからナナの)と
夜ごはんのウェットフードをお供えしてる





ちなみにまだ完全に喋れない2才10ヵ月の息子は、ムーさんがいないのは何となく分かってて
なんとなーく悲しいそぶり
でも3秒後には笑ってるけど
数ヶ月前に言えるようになったばかりの「ムーさん」はまだ覚えている





夜、ウェットフードを猫にあげるのは息子の役目でナナのを運んだ後、
ムーさんの運ぶときは
「ムーしゃん、ごっはん」と言っている
ムーさん部屋に行ってもムーさんはいない

いないのにご飯を置くのは変だなって思うだろうから、
「ムーさんは死んで妖精さんになったから、
パタパタパタ~って飛んで食べにくるかもしれないからご飯置いといてあげようね」
と説明すると「うん、パタパタ~」と楽しそうにしとる

彼が大きくなった時、ムーさんのことは覚えていないだろうから
わたしがしっかり覚えておこう
彼女が存在した証を息子に話して写真を見せてあげよう





ああ、心臓痛い




スマホとカメラの画像をPCに入れている時に気づいた
「ムーさん」という名前のフォルダ
最後のフォルダは「2016_1128」
もう日付の入ったフォルダが増えることはない
THE END.
これで終わり

ムーさんの死ぬ前の最後の写真は10月29日
1ヵ月もムーさんの写真を撮っていなかった
わたしはバカだ
最後の動画は2016年2月5日
わたしはバカだ

もっと写真を撮っておけばよかった
もっと動画を撮っておけばよかった

写真を見返すといつからか、ムーさんの背中の脂っこさが消えてた
そういえば2,3週間ほど前から居間、ナナ部屋への徘徊が増えた
ヨロヨロとした足取りで何かを探しているようだった
・・死に場所を探していたのかな
ごめんなぁ、気付なかなかったよ

26日の出かける前、私はムーさんの顔を見ただろうか?
それさえも分からないほど当たり前に今日もいると思っていたんだ

ごめんな、ムーさん





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ただただ、愛おしいよ



逝く

12-03,2016


去る11月26日か27日、ムーさんが逝きました。

「か」

というのは、泊まりで両親の所に行っている間、独りで逝ってしまったからだ。





27日もいつもと同じように夜中に帰ってきたので、
寝ている息子を旦那さんが抱っこし、薄暗い中、私が寝室の戸を開け、
ムーさんのおしっこがないか確認してから部屋に入りベッドに息子を寝かせようとした。





部屋に入る前、携帯のライトでペットシーツを照らす

たまに床でおしっこをしてしまうので、居ない間はどこでしても構わないようにペットシーツをそこらじゅうに敷き詰めていた

どこも濡れていない

・・・

ムーさんの猫ベッドに明かりを照らす

いない

猫ベッドに寝ていないわけがない

山盛りにしてあったカリカリを見る

山盛りのままだ

1泊2日の間、一度もおしっこをしていないわけがない

1泊2日の間、一度も食べていないわけがない

その間、0.何秒

わたしはその姿を見る前にムーさんが死んでしまったことを悟った





ムーさんを探す

人間ベッドの脚の隅、壁と脚の隙間、床の上で横たわるムーさんを見つけた

呼吸を確認するまでもなく、心音を確認するまでもなく、死んでいると分かった





声にならない声が出た





独りで逝かなくてもいいのに
寒い時に寒い所で逝かなくてもいいのに

出かけなきゃよかった
泊まらなきゃよかった

考えても後悔してもしょうがないことが頭をぐるぐる





取り返しのつかないことをしてしまった





先代猫は食べなくなって、動けなくなって2日で亡くなったから
ムーさんは食欲はあるし、ヨロヨロの足取りだけどまだ動いているからまだだと思ってたんだ
細く小さくなってくムーさんを見ながらもきっとどこかでこのままの状態が続くと思っていたんだ





私は結婚後、離れて住んでいた先代猫を一緒に住んでいる家族の誰でもなく
「もう動けない」という連絡で駆けつけたわたしが看取った
それなのに
17年も一緒に住んでいたムーさんの最期を看取れなかった
一緒にいてあげられなかった





ムーさんを抱き上げる





その体は既に冷たく、固い

一体死んでからどのくらい経ったらこうなるんだ

なんだんだ、一体

死ぬってなんなんだ

猫ってなんなんだ





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使われなかったペットシーツの上にムーさんを置き、居間に連れて行く
旦那さんに抱かれたままの息子はいつのまにか起きてしまい、
わたしの泣いている姿を見て不安そうにしていた





写真撮らなきゃって思って写真を撮る
ナナも連れて来て写真を撮る





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夜中に何やってんだ、あたし

一通り撮って気が済んだらムーさんのベッドを持って来てそこに寝かせた

2週間ほど前から寝ている時に右目が開いたままで閉じなくなっていたから
目を閉じようとしてももう閉じないんだ

まあいいか

そっか、目が閉じなくなったというサインをムーさんはくれていたんだ

今更気づいても遅い

猫ベッドに置くと本当に寝てるみたいだった
でも体は冷たくて固いんだ

本当なんだ

ムーさんは死んじゃったんだ





老いて行く姿を見せてくれていたのに、死への準備期間をくれたのに私は全く心が付いていかない

ムーさん、ウェットフードは君とはんぶんこじゃないとナナには多いよ

ムーさん、もう一度声が聞きたいよ

ムーさん、もっと写真を撮ればよかったよ

ムーさん、さみしいよ

ムーさん

ムーさん

ムーさん、悲しいよ





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虹の橋

12-03,2016


「虹の橋に旅立った」という表現を目にするけれど、
本当のところ、それが何なのか知らずにいたので調べてみた。




「虹の橋」(Rainbow Bridge)とは、作者不詳の散文詩で、
飼っていたペットとその飼い主とが再びめぐり合う架空の場所のことです。
詩が綴られた正確な時期はわかっていませんが、ペットロスに陥った動物愛好家の間で広まり、
最初はアメリカで流布していたものが次第に世界中に広がって、日本でも知られるようになってきました。




飼い主にこよなく愛されていた動物は全て、この虹の橋に集まります。

誰もが皆、走り回ったり遊んだり出来るよう、ここには草原や小高い丘があります。

食べ物も飲み水も豊富にあり、太陽が暖かく照り付けてとっても心地よい場所です。

病気や老いで弱っていた動物たちは、全て元の元気な体に戻ります。

傷ついたり体が不自由だった動物たちも、全て健康で活力に満ちた体を取り戻します。

それはちょうど、飼い主がペットが元気だった頃を懐かしむときの姿です。

動物たちは皆満ち足りており、何の不満もありません。

でも、たった一つだけ、気がかりなことがあります。

それは一緒に虹の橋に連れてくることの出来なかった、飼い主であるあなたのことです。

動物たちはみんな仲良く集まってはしゃぎ回りますが、

そのうちふと足を止めて遠くを見つめるときが来るでしょう。

やがて瞳がらんらんと輝き、体が震えだしたかと思うと、

突然仲間のもとから離れて緑の草原を駆け抜け、飛ぶように走りに走るのです。

そう、あなたを見つけたのです。

特別な感情で結ばれたあなたと友達は、とうとうこの場所で再会を果たし、

もう二度と別れることのない新たな出会いに胸を躍らせます。

友達はあなたの顔にキスの雨を降らせ、

あなたも懐かしい友達の体を撫でて長いこと見ることの無かったその瞳を見つめます。

片時も忘れることの無かったその瞳を。

そうしてあなたと友達は、共に虹の橋を渡るのです。




結局はただの詩だったとしても信じることで心が救われるのであれば私は信じたい。

信じた方が心が楽だからだ。
信じた方が心が安らかになるからだ。

「虹の橋」とは
そうあったらいいなと飼い主の誰もが思う素敵な詩だった。
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